空のかおり
ものがたり。
詰まらない話
もう、15年前に
本屋さんで一冊の立ち読みで、
仕方なく蕎麦屋を始めることになってしまった。
『もう、これからは、手打ちで十割で打つ蕎麦屋はなくなるだろう』
という文字がなんとも言えなく頭から離れない。
思わず購入した。
何故?
蕎麦のことなんぞ何にもわからなかった。
それからというもの、本をむさぼり読んだ。
その中に、絶対にやってはいけない職業が蕎麦屋。
しかも、手打ちそば屋で、十割蕎麦。
これは絶対にやってはならないと言うのだ。それもそば屋の人間が言っていた。
おもしろい。
だから、やらなければならなかった。
わけのわからない、、、『使命感』
俺の人生の苦行の始まりであった。
走ることと、蕎麦屋を続けること。やらなければならないわけだ。冗談ではない。
これを苦行と言わなくて、何という?
思い立ってから、14年の時間が経った。
小さな蕎麦小屋がやっとできたんだ。
さて、いつまでこの苦行、、、、、?
始まりました。
つづく
Mission
蕎麦を通して自分を俯瞰してみる。
多くの人に恩返しをする。
蕎麦は十割でなければならない。
手打ちでなければならない。
北海道産である。
自動販売機は置かない。
券売機も使わない。
手打ちで国産の蕎麦粉だけの十割だけが蕎麦だということを日本人に認識してもらう。
無理だろう。
いつかは美味いもんにしてみせる。
Vision
たくさんの人が、気軽にここを訪れ、
笑顔でお客さん同士が互いにあいさつできるんだ。
時に、泣いたり笑ったり、、、、、。
優しい笑顔で、またねと、、、、。
新しい物語が、始まるんだ。
みんなが少しだけ、幸せになる居場所に、、、、。
小さな幸せ作りに貢献。
詰まらない話(第二弾)
スポーツ大会で右足アキレスけんを完全断裂した。
入院二か月
リハビリで、歩き始めると左足が動かない。麻痺?????
腰のヘルニアからの影響だろうと、、、、。
サラリーマンなんかやる予定ではなかった。
何か、生きている感じをつかみたかった。
そうだ、職人だ。職人になりたい。
そうだ、絶対にやってはいけない蕎麦屋?
俺しかやれないんではないか?
そうだ、蕎麦屋になるか。
病室の大きな窓から外を眺めるとそこに、一人そばを打つ俺がいる?
蕎麦など打ったことはない俺が。
もう、蕎麦屋をやっている気がしていた。
毎日欠かさず見舞いに来てくれる妻に
「会社辞めて、蕎麦屋やるわ。」
愕然とはこのことだろう。
1週間もあれば蕎麦なんて打てるし、場所なんか、どこでもいい。
金?どうにかなるさ。
ど素人の浅はか。有害な自信過剰?頭がいかれてる。
蕎麦屋のアルバイトを探す。あちらこちらで断られる。
面接にもこじつけない
やっと見つけたそば屋のアルバイト。
きつかった。
体力だ料理もそれなりにできた。しかし、そんなものではない。
不慣れな俺にはきつかった。
思っていたところとは違って、アルバイト先を転々
すぐに見つかると思っていた、店舗も気に入ったところはそうあらず、
時間だけが過ぎる。
一軒家が見つかり、了承されるとそこで図面を引き、思案するが、何故か、後日に借用を拒否される。そう、飲食店には貸さない方が良いのでは?という横やりが入る。
次の物件が見つかり、さて、図面を、、、、。
また後日、やはり今回の借家の件も断念
この物件の取得ができないことの繰り返し。
その度に、職場を辞めて、また職場を探す。
正社員を探すわけにはならない俺は、14年で26か所の
アルバイトの職場を転々を変えた。
精神的にも肉体的にも病んできた。
「俺は、、、何をやっているんだろう?」
その14年の間、所ごとに付けない月日が一年半ほど。
貯金もなくなり、仕事もなく、左足は麻痺、、、、。
ウツになった
そう、外に出られなくなってしまったのである。
自分がそうなるとは思ってもいなかった。
しかし、だれでもそうなるものなのだ。こんな俺でもなるのだから。
子供もいる、妻もいる、俺が一人、うつでいるわけにはいかない、、、。しかし、仕事もない。
そう、走るしかない。
夜な夜な、、、、。静かにマンションの扉を開けて、、、、、
誰もいない夜中に、、、そっと、外に出るんだ。
ランニングシューズがやけに重い。
夜中に一人、マイナス20度の外をひたすら走るんだ。
いかれている。
しかし、走ることができたから、俺は前に進むことができた。
そう、走ることができたから。
つづく
もう、15年前に
本屋さんで一冊の立ち読みで、
仕方なく蕎麦屋を始めることになってしまった。
『もう、これからは、手打ちで十割で打つ蕎麦屋はなくなるだろう』
という文字がなんとも言えなく頭から離れない。
思わず購入した。
何故?
蕎麦のことなんぞ何にもわからなかった。
それからというもの、本をむさぼり読んだ。
その中に、絶対にやってはいけない職業が蕎麦屋。
しかも、手打ちそば屋で、十割蕎麦。
これは絶対にやってはならないと言うのだ。それもそば屋の人間が言っていた。
おもしろい。
だから、やらなければならなかった。
わけのわからない、、、『使命感』
俺の人生の苦行の始まりであった。
走ることと、蕎麦屋を続けること。やらなければならないわけだ。冗談ではない。
これを苦行と言わなくて、何という?
思い立ってから、14年の時間が経った。
小さな蕎麦小屋がやっとできたんだ。
さて、いつまでこの苦行、、、、、?
始まりました。
つづく